彼はその場に立ち尽くしていた。
一振りの刀を握り締めて。 目の前には、変わり果てようとしている、 旧友(とも)の姿。 ほんの数時間前の出来事。 彼の友人は、奴等の手にかかり、顔の左半分を失くした。 それでも、死に至ることはなかった。 その場では。 今。 彼の友人は、あの忌まわしい奴等、 歩く死人へと、変容しつつある。 皮膚は青みがかってくすんだ土気色に変わり、 干からびて、張りを失っている。 左眼のあった場所には、赤黒い孔が穿(うが)ち、 頬は捲れ、歯と、歯茎も露わに、 残ったほうの唇は弛緩し、 唾液と体液と血液が混じり合って、滴り落ちている。 その液体とも粘液ともつかぬものからは、 早くも腐臭が立ち昇っている。 だが、彼の友人の、残された眼は、 未だ鋭い光を湛えて、ひたと、 真っ直ぐに彼を見つめている。 早くしろと、訴えかけるように。 否、おそらくは、そう訴えかけているのだろう。 彼の友人は、彼に請うた。 俺は奴等のようになりたくない。 だからその前に、お前の手で、俺をあの世へ送ってくれ。 永久に醒めることのない眠りを、お前の手で与えてくれ。 彼は拒んだ。 せめて、お前が息絶えるまで待ってくれ。 せめて、お前を看取らせてくれ。 手を下すのはそれからだ。 しかし彼の友人は、譲らなかった。 駄目だ。 俺の息のあるうちに。 俺が俺であるうちに。 たとえ一瞬たりとも、俺は奴等になどなりたくない。 そんなのは堪えられない。 後生だから、早く、俺を殺してくれ。 それでも、彼は拒んだ。 そんなことは、出来ない。 けれど、どれほど彼が拒もうと、 彼の友人は、赦さなかった。諦めなかった。 ただただ、ひたすらに、殺してくれと、懇願し続けた。 そこで彼は、とうとう承知した。 己の手で、彼の生命を絶つことを。 己の手で、彼に永遠(とわ)の眠りを与えることを。 そして今、彼は、一振りの刀を手に、 横たわる彼の旧友の前に立ち尽くしていた。 そうしてから、もう、長い時間が過ぎている。 彼等に残された時間は、おそらく、ほんの僅か。 遂に彼は腹を決め、心を決め、 その目を固く瞑り、渾身の力で刀を振るった。 刃は彼の旧友の首を、一刀両断に刎ねた。 その瞬間、彼は固く目を閉じており、 だから、それを目にすることは無かったけれど。 月明かりを受けて弧を描きながら、 喉笛を裂き、首を落としたその切っ先は、 さながら、夜空から舞い降りた三日月のように。 美しかった。 退廃的な100のお題:鳥篭/お題配布場所 人気blogランキング
by zbeat
| 2006-02-03 23:02
| リビングデッド、もしくはゾンビ
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