To be, or not to be.
That is a question.


もしもゾンビに噛まれたら、どうしますか?

おそらく様々なことが頭を駆け巡ると思いますが、
最終的な選択肢は、ふたつ。
ゾンビとなる前に、自ら命を絶つか、
ゾンビと化すのを待つか。

けれど、このふたつの選択肢、
どちらを取っても、結局のところ、その先にあるものは、
死。

『ナイト・オブ・ザ・リビング・デッド 最終版』の
怪しげな神父(笑)のような、ごく一部の例外を除いて、
待ち受けるのは、己の死に他なりません。

そう考えると、わざわざ自分で死ぬってのも、
なんだか馬鹿馬鹿しい気がしてきます。
ゾンビになるのは嫌だと言ったところで、
”ゾンビにならない死に方”をするのも、なかなか大変です。
なんせ日本には、そうそう銃がありませんから。

それなら、どうせ一度しかない人生。

ゾンビになるのも悪くない。
by チョロ in 『ランド・オブ・ザ・デッド』

そして、どうせゾンビになる運命ならば、
ただその時を待つだけではつまらない。
私なら、自分がゾンビになるまでの、克明な記録を残したいです。

問題は、その記録方法。

最も適しているのは、デジタルビデオカメラか、
そうでなければ8mmでしょう。
これなら、映像も音声も残すことが可能です。

しかし、実はこれには、大変な困難が伴うことが予想されます。
何故なら……なにを隠そう、いやなにも隠さない(反語)、
私は、猛烈な、機械オンチ、なのです。
ビデオのタイマー録画は、説明書を見てもできません。
自宅のオーディオ機器のリモコンも、いつまで経っても
満足に使いこなせない有様です。

そんな私が、デジタルビデオカメラだの、8mmだのを使って
自分がゾンビになってゆく様を撮影しようものなら、
操作方法を誤ってなにひとつ記録を残せないか、
そうでなければ、説明書を見ながらオタオタしている間に
時間切れでゾンビになってしまうのがオチです。
限られた時間のなか、一度きりのチャンスだというのに、
これは危険すぎます。
最早自殺行為に等しい。
ああ、そもそも私は、デジタルビデオカメラも8mmも持っていなかった。

次に思い浮かぶのは、デジタルカメラです。
音声は残せませんが、画像が残ります。
フィルムカメラでも構いませんが、後に記録を見る方に、
わざわざ現像の手間をかけるのも忍びないので、
やはりデジタルカメラが望ましいかと思います。
デジタルカメラなら、私でも、とりあえず電源を入れて、
写真を撮ることはできます。
……どうにか。

しかし、やはり問題がありました。
私はセルフタイマーの使い方が分かりません。
ただ、手動で写真を撮ることができるだけです。
これも、ちょっと困りものです。
ゾンビになりながら、一定時間ごとに自分の姿を撮影するのは、
どうにも大変そうですよ。
まあ、写真は撮れますが、”克明”な記録には程遠い、
手ブレでぶれまくりの写真になるのでは。
……ううん、なんだかあまり宜しくないような気がしてきました。

とすると、MDレコーダーでしょうか。
音声のみですが、これはなかなか味のある記録になりそうです。
……でも、ゾンビになりながら、そんな自分の実況中継は、
それはそれで、流石にしんどいかも……。
操作を間違えて、なにかの拍子にそれまでの音声を、
うっかり消去する危険もあります。
というか、消してしまう確信というか自信というか、
そんなものが漲っています。
テープレコーダーなら、MDレコーダーよりは使えますが、
生憎持っていません。

いや、それ以前に、そもそもゾンビに噛まれたときに、
デジタルカメラだのMDレコーダーだの、
そんなハイテク機器(という表現が、もう既に
私の限界を如実に物語っている……)を、
都合良く持っているとも限りません。

そう考えると、随分と回り道をしてきましたが、
どうやら、日記が最適なようです。
メモ帳と筆記用具なら、いつも持っているし。

日記となると、映像も画像も音声も残すことができませんが、
されど、文字というのは、なかなかどうして、
非常に優秀な記録手段だと、私は思っています。
たしかに、物事を言葉として書き表してゆくのは、
骨の折れる作業ではありますが、
難しい操作も、大掛かりな道具も要らない。
紙と鉛筆さえあれば、否、それすらも、
無いなら無いでなんとでもなります。
……利き手を喰い千切られてしまったらどうしよう、
という心配は残りますが……。
なんせ、利き手でないほうの私の手は、
これも自分の身体の一部だとは思えないほど不器用です。

まあ、そんな心配をしても始まりません。
そんな心配をしている時間もありません。
なにしろゾンビに噛まれたその瞬間から、
時間との戦いが始まっているのです。

とは言っても、ゾンビに噛まれ、徐々にゾンビになりながら
日記を書き続けることは、想像を絶する努力と精神力を要し、
苦痛を伴う大仕事になるでしょう。
でもここで負けてはゾンビ好きの名が廃る。
なんとしても、やり遂げなければなりません。

ここで、日記、即ち文字による記録が、真価を発揮するわけです。
日記なら、文章それ自体が勿論意味を成すと同時に、
一文字一文字が、殊によると文章以上に、
私がゾンビになりつつあることを、雄弁に物語ってくれるはずです。

例え筆跡が乱れ、脈絡の無い文、果ては文字の羅列になったとしても、
そこには、凄絶な、そして克明な記録が残る。
ゾンビになりながら、私がその場所で、
日記を書き続けていた証が。

……なんだ、『バイオハザード』じゃん……。

ゾンビになってしまえば、もう、
自分が書いたものを目にすることはありません。
仮に目にしたところで、それを読むことも、
理解することもできないでしょう。
そこになにが書いてあろうとも、知ったことじゃありません。
後は野となれ山となれ、です。


…………でも、そうは言っても、最後の日記が

かゆい
うま

だったりしたら、それはやっぱり……厭だなあ……。


生きるべきか死ぬべきか。
それが問題だ。



人気blogランキング
[PR]
by zbeat | 2005-11-27 01:08 | リビングデッド、もしくはゾンビ
<< 日記は書かない主義なのに 消化と吸収 >>